166、思考力と言語化は切り離せない
言語化する力は
逃げては通れない部分だと思う。
決して
表現力豊かな作文を書くことができるとか
そういう話ではない。
なんでもいい。簡単な日常会話において
聞かれたことを正しく認識し,「自分なりの」答えを持ち,説明できるか。
「自分なりに」でいいから,伝えようとするときに
相手目線に立てること。
しかし,勉強に本腰を入れて取り組み始めるときに
その先の伸びを決めるのは
その時点での成績ではない
そう考えてよいと思う。
そこから大きく伸びていくかどうかは
言語化できるかどうかで大きく違いが出る。
これは,特定の教科についてのことではなく
どの教科にも共通して言えることだ。
「文」ではなく「単語」で答える癖のある子,
説明することから逃げてしまい,黙ってしまう子や
明瞭に話さない子は
言語化できる子と同じ努力をしていたとしても
その努力に対する伸びが
比較してどうしても小さくなってしまうのである。
やっているのにそれほど伸びない…という原因は
一定数,このケースであるという子がいる。
日常的な会話で
「分からない」「なんとなく」が口癖になっている
考えることに耐えられず黙ってしまう
それを親は見逃してはならない。
大人の側が,子どもの意図を察したり
汲んだりすることは必要なときには,もちろん大切なのだけれど
あまりにそれが日常で頻繁であれば
子どもの言語化する力,そこから繋がる思考力を奪ってしまうだろう。
言語化する力が低い
それ以前に言語化しようとする気持ちの低い子は
学力の伸びの限界が本当に早い時点でくる。
だから,そこは絶対に避けては通れない道だ。
僕が日々やっている授業は
ずーっと説明し続けることはほとんどなく
全員に問いかけのボールを投げ続ける授業。
答えてもらうときには,個に指名するから
毎回全員にそういう面では負荷がかかる授業と言えるだろう。
もちろんわざと負荷を「かけている」のだけれど。
だからこそ,個々の生徒のその力の違いは敏感に感じ取る。
テストの答案だけでは見えてこない部分だよね。
追記
5年ぐらい前かな?
中学受験生として僕が指導していた小学6年生の男の子で
口頭での言語化はとても苦手だけれど
作文を書かせると「抜群」の子がいた。
こういう子の場合,少し話は違ってくるのかも…?
こういうケースもたま~にあるので,大人がそこに気づいて
できている部分については認めてあげることが大切だと思います。
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